2007年07月24日

私には二つ違いの兄がいる。
歳が近いせいか、あまり仲良しではなかった。
しかしブラコンの私は兄が好きで、幼い頃お小遣いをもらうと、兄の好きなお菓子をかって、兄に貢いだりしていた。

兄が私を「妹」としてかばった事件を一つだけ覚えている。近所の子どもたちの間で、「米」と名づけた草があった。米のような実がついていて、草原でその草を「収穫」し、実をそぎ落として「米」を集めるという遊びがはやっていた。ある時、私とあるグループの間で、その米収穫の競争がもちあがった。そのとき、なぜか兄が一緒になって米を集めてくれたのだ。「兄ちゃん」ってうるうるきたのを覚えている。でもあいかわらず、兄にとって私はかわいくない妹だった。時々は遊びの仲間に入れてくれたが、大きくなるにつれ、それもなくなり、中学、高校などは、学校で遭遇するとあからさまに嫌な顔をされた。

大人になってから、兄はますますぶっきらぼうになった。いつも怒ったような口をきき、私は兄が苦手になった。兄が結婚したとき、「これでますます疎遠になるな」って思ったのだが、義姉になった人が私や家族ととても気があった。兄とは数年口をきかなくても、義姉とはよく話し、本当に驚くくらい仲良しになった。

今年の2月、婦人科の検診で、那覇に来た時、兄の新築の家に泊まった。夜遅く兄が帰宅して、リビングで二人っきりになった。兄と会うのは二年ぶりだった。「兄ちゃん、二年ぶりだね」「そうだな」会話はそれで終わった。

今度、病気をして、那覇の病院に転院し、両親も島を出て兄との二世帯住宅に移り、私の闘病生活が始まった時、兄は長期出張で、遠くの島にいた。義姉から連絡を受けた兄は母に電話してきて、「心配するな。みんなで助けるから。金銭的なことも心配するな」と言ったそうだ。その話を聞いた私は号泣し、熱を出した。

手術の前に兄から、初めてメールをもらった。
やさしい励ましの言葉のあとに、「これまでいじわるな兄ちゃんでごめんな」とあった。
私はまた号泣した。

兄はあいかわらずぶっきらぼうだが、出張から戻ると、かならず私の顔をみにきて励ましていく。
兄が去ったあとで、私はいつも泣いてしまう。
兄が建てた家のおかげで、私がどんなにめぐまれた闘病生活を送っていることか…。





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Posted by うと at 21:15│Comments(0)雑記
 
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