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2007年08月18日

モネの庭

園芸好きな少女と画家モネの庭を題材にした絵本があった。
今題名が思い出せない…。


私の家は平屋で雨が降ると雨の音が心地よかった。
家の周りの砂地に雨がたまる音。木々にあたる音。オオタニワタリやバナナの大きな葉っぱを打つ音。車庫のトタンにも雨が落ち、近くの墓のコンクリートにも雨が落ちていた。

その音を楽しむことができるから、雨の日は好きだった。

大人になって、兄も同じように感じていたことを知り、うれしかった。彼は家を建てたとき、家の周りに小さな堀のようなもの(本人は池と言っている)を掘りめぐらした。いずれ時間ができたら、水を入れる予定だそうだ。
私が闘病生活を送っている座敷の障子をあけると、その池が良く見える。障子は「雪見障子」っていうのだろうか、下だけ開けられるようにもなっていて、障子を全開しなくても、その池だけを楽しむことができる。以前からモネの庭にあこがれていた私は、睡蓮や蓮が浮かぶ堀に雨が降り注ぐ情景を浮かべた。ちょうど友人が夫婦で蓮や睡蓮を栽培してネット販売している。兄に友人夫婦の話をした。「でも池の管理は俺しかできないもんなぁ。長期出張が多いうちは無理か…」。兄ちゃん、早く定年しないかなぁ。

  


Posted by うと at 12:09Comments(79)雑記

2007年08月16日

いつか





西表島の友人が送ってきてくれた。
いつか、またこんな夕日を一緒にみたい。  


Posted by うと at 00:44Comments(21)雑記

2007年07月29日

しばらく

明日からしばらく更新できません。
気長にお待ちください。  


Posted by うと at 20:30Comments(0)雑記

2007年07月29日

泣いてしまう

最近、困っていることがある。
感情のコントロールがきかないのだ。

これまでは、何とか我慢できていたのだが、今はだめ。
すぐに泣いてしまう。

母よりも年上の従姉妹が、葬式で、こっちにきた。
お通夜で出すために魚をもってきたのだが、私に食べさせようと、特別にチョウチンマチを用意して持ってきてくれたそうだ。姉がもらってきて、夕べはおいしい刺身を食べた。私は嬉しくて泣いた。この従姉妹は昔からそうだ。与那国から出てくるとき、「あんたのためにもってきたんだよ」ってお菓子や魚をもってきて、いつもかわいがってくれた。「うとが、石垣にいないと、さびしいさ」と言ってたそうだ。これを聞いてまた泣いた。

今朝、葬式が終わって、若い従姉妹たちが私の顔を見に来ると連絡がきた。ちょうど彼女たちが到着したとき、私は調子が悪くて、姉に背中を指圧してもらっていたのだが、最初に入ってきたのは伯父だった。伯父まで来るとは思っていなかったので、私はぼろぼろ泣いてしまった。皆気がつかないふりをして、明るく会話を続けてくれた。姉がティッシュをよこした。やっと涙がとまって、皆で話をした。

次の予定があるので、皆長居をせずに帰ったのだが、ちょっとして、従姉妹が帰ってきて「これ、オットー(父)から」と言って、お見舞いの封筒をくれた。母から確認するようにわたされて、中を見たとき、結構な金額が入っていた。それをみたら、私は号泣してしまった。この伯父も昔から、私をかわいがってくれた。小4の時に一人で与那国に行ったことがある。叔母の家にいたら、色の黒いウミンチュのおじさんがきて、「うと、おじーが誰か分かるか?」と聞いた。わからないと答えると、おじさんはがっかりした顔をして、「おじーは、お前のお父さんのお兄さんだよ。忘れないように、帰りの飛行機の切符はおじーが買ってあげようね」と言った。封筒の中身をみて、あの日のことを思い出した。

父も母も姉も、私がぼろぼろ泣く様子になれたようだ。
でも、お見舞いに来る人はびっくりするかもしれない。
コントロールがきかないので、しょうがない。がまんしようとすると、余計におお泣きしてしまうのだ。
悲しいとか、苦しいとかで泣いているわけではない、ちょっと雰囲気に流されてしまってないてしまう場合が多いと思う。

従姉妹からのチョウチンマチ。ちなみに今日はオオマチの刺身を戴きました。

  


Posted by うと at 20:25Comments(0)雑記

2007年07月29日

ありがとう

歳のはなれた従姉妹のおしゅうとめさんが、突然なくなった。このおばさんは働き者で、私の従姉妹は結婚してから一度もご飯を作ったことがない。「材料を買っておけば、おばー(ばあちゃん)がつくっておいてくれるのよ」とニコニコしている。
従姉妹は親戚から、「幸せまれ(生まれ)」をしているといわれている。おばさんは面倒見がとてもよくて、嫁の従姉妹の私までかわいがってくれた。大学時代、「おばさんのサトウテンプラが食べたいなぁ」と従姉妹に言ったら、ダンボール箱いっぱいのサトウテンプラが送られてきたことがある。トイレ共同の風呂なしのアパートに住んでいたので、アパート中の人におばさんのサトウテンプラを配った。すると、急にアパートの住人と打ち解けた上に、函館出身の人から「今朝の朝市で買ったホタテ、親がたくさん送ってきたので」と袋いっぱいのからつきホタテをもらった。酒と醤油をかけて、直火であぶっておいしく食べた…。
おばさんは私の姉にもサトウテンプラを送ってきてくれたそうだ。


孫が帰ってきて、倒れているおばさんを見つけたのだが、夕食のお汁をつくって、カボチャを切っているときに倒れたそうだ。
息子は「うちの母ちゃんらしいよ。最後までご飯つくって」と言っていたそうだ。
皆それを聞いて、涙した。
さて、家事をしたことのない従姉妹は、これからどうするのか…。
親戚一同、ちょっと心配している

私は今病気なので、お通夜もお葬式もいけなかった。
おばさんはやさしくて、働き者で、温かい人だった。
おばさんありがとう。  


Posted by うと at 19:18Comments(0)雑記

2007年07月26日

メール

今日は久しぶりに落ち込んだ。
6時過ぎに帰宅して、言葉の少ない私に父も声をかけずらそうだった。お父さん、ごめんと思いつつ、今日の私は笑顔になれない。落ち込むというより、気弱になっている。こんな日もあるさと自分に言い聞かせるが…。

メールをあけたら、高校時代の美術の先生からメールが入っていた。
そして幼馴染で、内地に婿に行ってしまった友人からも。

そのメールを読んでいたら、泣いてしまった。
少しだけ、元気がでたような気がする。
みんなそれぞれの人生で、きついときも、苦しいときも逃げずにふんばって生きているらしい。
その様子がメールからうかがえた。

メールのある時代に生まれてよかったなぁ。  


Posted by うと at 19:59Comments(2)雑記

2007年07月25日

なぞなぞ地獄

幼稚園生って、夏休みがある。
なんと40日間も…。

夏休みになった甥が闘病中のか弱い私に「なんか、なぞなぞだしてー」と迫ってくる。
私は必死でなぞなぞを考えるのだが…。どうも思いつかない。母に「ばあちゃんも考えてよ」というと、答えが「下駄」とか「ランプ」とか、甥の答えようのない世界から出題するので、あてにならない。私が問題につまっていると、甥が自分で問題を出すのだが、これがまたむずかしい。こんななぞなぞ、答えられますか?

「1の山には、ダンプカー。
2のやまにはへび。
3の山には水道(?)。
さて、どの山を通りますか」

答え「2のやま」

あまりの難しさに答えを聞いた後も考え込んでいると、義姉が「ぷぷぷ。あのね、『2のやまにはどくへび
なのよ、どくへびだから、2のやまはとおれるんだって」

甥が「信号の問題をだして」というので、私の唯一知っているまともななぞなぞをだしてあげた。甥は答えを覚えているんだろうなって思いながら…。

「青信号をかぶとむしさんがわたっていきました。黄色信号をてんとうむしさんがわたっていきました。赤信号をわたっていったのは何むしさんだったでしょうか」

甥は「う~ん。くわがた?」

まったく覚えていなかったようだ。
「あのね、赤信号をわたったから、しんごうむしさんだよ」って教えてあげた。

翌日、兄が出張から帰ってきて、甥が「パパ~、なぞなぞだして~」とよっていった。「今、もちあわせがない」と兄。
みかねた私が「信号の問題だそうか?」というと甥が喜んだ。そして、見事に「しんごうむし~」と正解を言った。甥は大得意だ。

義姉が「ねえ、しんごうむしってどんなムシ?」って聞くと、甥が「あのね、カブトムシのメスみたいなやつ…」と答えていた。

それにしても夏休みがおわるまで、このなぞなぞ地獄が続いてはたまらない。義姉に「なぞなぞ幼稚園」とか、なぞなぞの本を買ってくるように頼んだ。あの手の本に助けられている大人って、たくさんいると思う。  


Posted by うと at 14:25Comments(0)雑記

2007年07月24日

私には二つ違いの兄がいる。
歳が近いせいか、あまり仲良しではなかった。
しかしブラコンの私は兄が好きで、幼い頃お小遣いをもらうと、兄の好きなお菓子をかって、兄に貢いだりしていた。

兄が私を「妹」としてかばった事件を一つだけ覚えている。近所の子どもたちの間で、「米」と名づけた草があった。米のような実がついていて、草原でその草を「収穫」し、実をそぎ落として「米」を集めるという遊びがはやっていた。ある時、私とあるグループの間で、その米収穫の競争がもちあがった。そのとき、なぜか兄が一緒になって米を集めてくれたのだ。「兄ちゃん」ってうるうるきたのを覚えている。でもあいかわらず、兄にとって私はかわいくない妹だった。時々は遊びの仲間に入れてくれたが、大きくなるにつれ、それもなくなり、中学、高校などは、学校で遭遇するとあからさまに嫌な顔をされた。

大人になってから、兄はますますぶっきらぼうになった。いつも怒ったような口をきき、私は兄が苦手になった。兄が結婚したとき、「これでますます疎遠になるな」って思ったのだが、義姉になった人が私や家族ととても気があった。兄とは数年口をきかなくても、義姉とはよく話し、本当に驚くくらい仲良しになった。

今年の2月、婦人科の検診で、那覇に来た時、兄の新築の家に泊まった。夜遅く兄が帰宅して、リビングで二人っきりになった。兄と会うのは二年ぶりだった。「兄ちゃん、二年ぶりだね」「そうだな」会話はそれで終わった。

今度、病気をして、那覇の病院に転院し、両親も島を出て兄との二世帯住宅に移り、私の闘病生活が始まった時、兄は長期出張で、遠くの島にいた。義姉から連絡を受けた兄は母に電話してきて、「心配するな。みんなで助けるから。金銭的なことも心配するな」と言ったそうだ。その話を聞いた私は号泣し、熱を出した。

手術の前に兄から、初めてメールをもらった。
やさしい励ましの言葉のあとに、「これまでいじわるな兄ちゃんでごめんな」とあった。
私はまた号泣した。

兄はあいかわらずぶっきらぼうだが、出張から戻ると、かならず私の顔をみにきて励ましていく。
兄が去ったあとで、私はいつも泣いてしまう。
兄が建てた家のおかげで、私がどんなにめぐまれた闘病生活を送っていることか…。



  


Posted by うと at 21:15Comments(0)雑記

2007年07月24日

suzuさんへ

以前の記事を消去して、ブログのリニューアル(ってほどじゃないけど)をしようとしたときに、今考えると調子悪かったからだと思うけど、いろいろと変な操作をしてしまった。最近、「お気に入りリンク」をはずしているのは、お気に入りでリンクしていた「suzuさん」のブログを消してしまったからだ。というわけでsuzuさん、もし見ていたら、このブログのサイドメニューにある「メッセージをおくる」から、メールいただけないでしょうか。文章が好きだったので、読みたいのですが…。もし、よかったら、よろしくお願いします。  


Posted by うと at 20:44Comments(1)雑記

2007年07月20日

私には姉がいるのだが、同じ血が流れていても少し人種が違っている。
あまりくびれがなく、色気のない私と正反対で、大きな胸、ちいさな肋骨、くびれた腰に大きなお尻…。
顔も声も少々甘く、なんというか、この人とトイレに閉じ込められたら大汗をかいてしまうような気がするくらいむんむんした人なのである。まあ、かなりぬけていて、いつも笑いを提供してくれるので、その性格のおかげでさっぱりした印象なのだが…。

彼女は現在バリバリの営業マンをしている。制服代わりのワンピースに身を包み、薄手のカーディガンを羽織って、ロングヘアを軽くウェーブさせて、なかなかかっこよい。久しぶりに姉の近くで生活しているので、いつも楽しく彼女を観察しているのだが、今回、驚いたことがある。営業なので、よく携帯がなるのだが、姉は携帯をカバンから取り出すのでなく、胸元から取り出すのだ。あの大きな胸のどこにしまってあるのか…。会っているときに、姉の携帯がなると、注目しているのだが、今だによくわからない。とにかく、左の胸元に手をいれ、携帯を取り出して話している。

ある日、「電話番号とメルアド送って」と言ってきたので、どうしたんだろうと思っていたら、「いやぁ、よくあるんだけど、携帯が水没しちゃって、データがなくなっちゃったのよね」という。汗っかきな人が額からの汗で、携帯をダメにしたことがあるのは聞いたことがあるが、姉は…。今度、もっとよく観察してみよう。姉は胸元のどこから携帯を取り出しているか。  


Posted by うと at 17:42Comments(2)雑記

2007年07月18日

一期一会

今日退院しました。
また治療のために何回か入院しますが、よくなってきているという手ごたえを感じ、ほっとしています。
ブログを呼んで下さっているみなさまにもご心配をおかけしました。

さて今日、三十数年ぶりに再試合という形をとって、夏の甲子園沖縄県代表がきまりました。
見ごたえのある試合を二回も戦ってくれた両校の選手、どちらにも拍手を送りたいです。

試合に勝って校歌を斉唱する選手に中に、私にとって気になる選手が一人いました。

今から5年ほど前、従兄弟の結婚式に出席した時のことです。同じテーブルににこにこと笑顔のやさしい中年の夫婦が座っていました。余興でお祝いの踊りを踊り終わって席につくと、男性の方が、「僕のことわかるかな?ちっちゃい時にあったくらいだから、わからないだろうね」と声をかけてきました。彼は私の従兄弟で歳を離れているし、名前を言われても、「聞いたことあるな」ってくらい、それまで付き合いのない従兄弟でした。「たぶん、今日が初対面みたいなものだよね。これをきっかけに、これからよろしくね。」と笑いながら、傍らにいた奥さんを紹介してくれました。『従兄弟は第2の兄弟』という父のくちぐせのとおり、ほとんどの従兄弟がけっこう親密な関係を作っている我が親戚だけど、歳が離れ、住む島も違っているので、たまたま彼と私は疎遠になっていたのです。
「これからもよろしくね」という言葉は実行にうつされないまま、その後しばらくして彼はがんでなくなりました。

今回、自分が病を得て、ときどき彼のことを考えるようになりました。
私の家系には、この手の病気が少ないので、歳若くして逝った従兄弟のことを自然に考えてしまうのです。

野球の試合をみながら、母が教えてくれました。
彼は野球が大好きだったそうです。彼の一人息子は野球をしており、病気が進行したときも、息子の試合を見るために看護師さんを同伴して、球場に出かけたこともあるそうで…。

彼と同じ太い眉の少年が、今日堂々と校歌を歌っている姿をみれたことで、
やっと彼への憐憫の思いから開放されたような気がします。
  


Posted by うと at 17:52Comments(6)雑記

2007年06月18日

のり

幼い頃、両親が共働きなので、ほとんどの時間を祖父母の家で過ごしていた。
ときどき、祖母が鍋一杯に「のり」を作った。
「ばあちゃーん、何これー?」と聞くと、祖母はぶっきらぼうに「のり」と答えた。
そして皿に乳白色のドロっとした液体を入れると、食べろと私にわたした。

私はこの「のり」があまり好きではなかった。
私の知っているのりは、黄色い容器に入っているフエキ糊と昔話の「舌きりすずめ」の洗濯のりだった。
見た目はフエキ糊だが、食べられるということは、これこそが雀が食べちゃった例の「のり」に違いない…。
いつも、祖母に皿をわたされるたび、そう考えた。

先日母と姉と話していて、祖母のつくる「のり」の話になった。
私は洗濯糊だと思っていたが、あれは小麦粉をお湯でといて砂糖で味付けしたおやつだったらしい。
姉は大好きだったそうだ。

それからしばらく祖母の作ったおやつの話でもりあがった。

しばらく更新できませんでした。
これからしばらく更新できません。
もしかしたら一ヶ月くらいかかるかもしれませんので、気長にお待ちください。
  


Posted by うと at 09:48Comments(7)雑記

2007年05月24日

びっくりした

最近、調子を崩していたので、ブログの更新ができないでいました。
パソコンを立ち上げて、他の人のブログはみているのですが、イスに座って、落ち着いて書くということができないので、本当にメールをするくらいしか、できませんでした。その間にこのティーダブログがリニューアルしていて、今、管理画面に入って、びっくり!
昼寝している間に、部屋の模様替えをされたような感じです。

は~、本当にびっくりした…。

そういえば、本当に昼寝をしていました。

京都の若冲展を見に行くという友人と話していたら、2000年に京都国立博物館で開催された特別展覧会の冊子を貸してもらいました。私は美術には疎いのですが(美術だけではないですが)、この人の絵はおもしろいです。ざっと目を通して、あまりにもおもしろかったので、昼寝をしようと寝っころがってからも、しばらく眺めていたら、若冲になっている夢をみました。

舞台は現代ですが、設定は江戸時代という夢にありがちな荒唐無稽な世界の中で、若冲である私が「自分が何故こんな絵を描いているのか…」ということを説明しておりました。で、夢から覚めて、自分が説明した内容が思い出せないので、本を開いて、解説を読んだのだけど、答えは書いてありませんでした(あたりまえか!)


  


Posted by うと at 19:39Comments(4)雑記

2007年05月16日

5月15日

この数日、夕方から朝方まで、ネッパツしている。
子どもの時からネッパツといっていたが、東京で暮していたころ「ネッパツしてさー」と言うと、驚かれた。「それは”発熱してました”ってことでしょか?」って聞かれたっけ。

昨日の朝の話だが…。
目が覚めて、ふと思った。
5月15日火曜日。この日は私の人生の中で、たった一日しかないんだなぁ。去年もその前も5月15日はあったけど…。今日は今日だけなんだ。熱がさがった朝というのは、なんだか哲学者のような心境になっている。哲学者+さわやか=感謝の気持ち…かな?

急に歌が浮かんできた。

ひとーりーのちいさな手 ちゃちゃちゃ

なにも~できないけど ちゃちゃちゃ

そこまで歌って、歌詞が思い出せないので、しばし沈黙。
我ながら朝からハイだなって、関心していた(ちょっとバカだなっても思ったが)。

お昼、友人と話していて、5月15日が「沖縄本土復帰の日」だと思い出した。

数十年前の5月15日。
私はまだまだ言葉がしゃべれなかった。
私の記憶は言葉がしゃべれるようになってからのものしか残っていない。
だから、その日のことを覚えていない。
きっと、多くの人が喜んでいたのだろう。
それを私の身体が記憶していたのかなぁ?

  


Posted by うと at 15:27Comments(1)雑記

2007年05月12日

水虫がこわい

子どもの頃から水虫が恐かった。
昔は水虫になったらどうしようって、水虫の人がいる家に行ったら思ったし、お風呂やさんとかで、しめったマットの上に足をのせるのをためらったものだ。
最近では、そんなにびびらなくなっている。

まだ東京で暮らしていた頃の話だ。
苦学生というわけではなかったが、風呂なしトイレ共同の西荻窪のアパートに住み、昼は学校、夜はバイトという生活を送っていた。ある日、銭湯から帰ってきて、なんとなく足の指のマタをみると、皮膚がしょぼっとして元気がなかった。「これは…!み、水虫では!!!」
びびった私は翌日すぐに駅近くの皮膚科に行った。
いつも前を通るたびに、患者さんがいっぱいだから、きっといい医者だろうと予想して…。

先生は私の足の指をちらっとみて、「これは水虫だね」って断言した。
「あの、先生、水虫の足で、誰かとお風呂につかったりしたら、まずいですか?相手にうつりますか?」私の質問に、先生は「?」って顔をしながら、カルテの職業欄をみて、何か納得したように、「大丈夫でしょう、風呂に一緒に入るくらいは」って言った。あ、先生、私のことソープ嬢かなにかと勘違いしているなって、ピンときて赤面したのを覚えている。それからなにやら、紫の光線をあてて帰宅した。

この少し前に知人のご主人の水虫が悪化して、股間の方まで広がった話を聞いたばかりなので、私の水虫恐怖症がひどくなっていた。それと、よく泊まりに行っていた叔父の家が「24時間風呂」というやつで、もしかして、私の水虫が風呂の中で生き残っていて従姉妹たちのうつってたらどうしようと、バカなことを考えて、あの質問になったのだ。

その後、バイト先の店長の紹介で他の病院に行くことになった。
皮膚科に受診し、先生の前に足をだしたら、先生はピンセットで足の皮膚をこすり落として、それを顕微鏡で観察していた。それから顔をあげて、「うとさん、水虫ないですよ。白癬菌はみあたりませんね」って言った。先生に聞いたら、水虫かどうかは、まず皮膚をとって白癬菌がいるかどうか調べるとのこと…。

あの頃は、本当に無知で、しょっちゅう変な医者に当たっていた。風邪で寝込んだあと、少々気になる症状がでて、婦人科で検診をうけたら、培養液をもたされたこともある。「家で保管して、色がかわらないか調べてください」って。その後、ガンの疑いがあるとかないとか…。友人に紹介された病院に行ったら、「培養液を渡すなんて、考えられない。温度管理もあるんですよ。それにあなたのは抗生物質をのんだ後での症状だから、最初から抗生剤をぬるように指導するのは…」と絶句された。


話がそれたが、この春に親指の爪の付け根が白くなっていることに気がついた。
も、もしかして爪の水虫!?
まだ水虫恐怖症が私の中に残っていたようだ。翌日、すぐに皮膚科に行った。
「これは圧迫で白くなっていますね。もうすぐ爪が生え変わり始めます」
ほっとして、帰宅した。

しばらくして、爪が取れ始め、下の方に赤ちゃん爪が生えてきた。
外反母趾のあるほうの指なので、きれいにはえてほしい。

前みたいに、びくびくはしなくなったが、根強く残っている水虫恐怖症。
なにか幼児体験があるのだろうか?
それとも皆そうなのかな?  


Posted by うと at 21:47Comments(0)雑記

2007年05月12日

陶器

私は食事や本にはお金を使えるのだが、食器とかを買うことができない。
お気に入りの陶器をあつめて、それで食事をするのが長年の夢なのだが、
自分ではまだ一つも買ったことがない。
たまに母が趣味で集めた島の陶芸家のカップでお茶をのんだり、食事をしたりして、いつか自分の気にいった焼き物を買いたいなぁって思う。

ほんとに、自分の為に生活必需品以外で何かを買うというこができないのだ(外食と本は別)。
下着や服も、しょうがないなって買いにいく。アクセサリーも「こんなに何ももってないのはまずいだろ」って気持ちで買いにいく(でも結局数ヶ月したら身につけなくなる)。

だから誕生日に何がほしいかときかれると、日用品をお願いする。友人たちも最近はわかってきたようで、普段使えるものをくれるようになった。

自分で自分にプレゼントしたのは数年前にガラスのネックレスを一つっきり。あとは覚えていない。今年は何かほしいものはないかと考えた。その時浮かんだのが友人の焼いた陶器のマグカップだった。そのことを友人に話したら、「ちょうど、うとさんが気に入っていたマグカップを焼こうと思っているんです」と言った。

先日、その友人にあった。
「うとさん、例のやつ窯にいれましたよ」

今、一ヶ月遅れの誕生プレゼントが窯の中にある…。  


Posted by うと at 18:48Comments(0)雑記

2007年05月12日

胃痛

胃痛で、この二日ほどきつかった。
今朝から右のふくらはぎがつって、歩くと痛い。
胃痛⇒頭痛⇒ふくらはぎの痛み
これって、関係あるのか、それとも、ふくらはぎは何かでいためたのか…。

この二日はジャマが入ってあまり寝ていないので、さっき時間ができたことだし、昼寝をした。すごく深い眠りだったようで、目が覚めたらすっきりしている。

おなかがグーッとなって、食欲がでた。

食欲、睡眠、きもちのよい排便。幸せを感じる瞬間だ。

というわけで、これからちゃんと「うとにっき」を再開します。  


Posted by うと at 18:31Comments(0)雑記

2007年05月11日

休憩?

わたしの休憩って、宣言すると、すぐに終わってしまうなぁ。

このテンプレートのデザインのような青空ではないけど、今日も暑いです。
梅雨はどこに行ってしまったのでしょうか?  


Posted by うと at 12:16Comments(4)雑記

2007年05月10日

しばらく

いつも読んでくださってありがとうございます。
しばらく、この「うとにっき」は休憩します。

ちょっとよくわからないのですが、ブログの設定がうまくできなくて、
題名が「utonikki」のままですが、時間ができたら、ちゃんとなおします。  


Posted by うと at 11:35Comments(0)雑記